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煙草についての断片的な随想のようなこと

私は煙草を吸う。 

 


お酒を飲むとき、一日の予定がすべて終わったとき、論文が一区切りついたとき、喫茶店で好きな本を読んでいるとき、友人(喫煙者の)と好きな本について語り合う時、どうしようもなくやりきれない気持ちになって何をしたらいいかわからないとき……

 


煙草の煙や匂いが嫌いな人、それによって具合が悪くなる人、受動喫煙が気になる人もいるだろうから、そういう人の迷惑にならないようにできるだけ気を付けながら吸う。分煙を徹底することは賛成である。公然と煙草を吸えた時代を経験した方は喫煙者にとって肩身の狭い時代になったと言うが、まあ禁止をされたわけではないのだから別にいいんじゃないのかな、と思う。

確かに喫煙所は街の片隅に追いやられ、喫煙者もまた同じくその狭い場所に追いやられている。だが個人的にはうるさい世間から少し離れた場所で静かに煙草を吸えるのでそういう場所がなかなか好きである。故郷に帰省した時、駅の喫煙所で煙草を吸った。その喫煙所は直線階段のちょうど真下にあって、おそらくたまたま空いていたからこんな場所に設置したのだろうな、と思わせる、日当たりの悪い暗くて狭い場所に、まるで家屋のリフォーム業者が提案する「直線階段の真下の空いたスペースを生かした収納場所」のようなかたちで設置されていた。まさに「追いやられた」という言葉がぴったりな場所だったけれど、周囲の喧騒からは隔離された場所にあって、なんだか少し秘密基地のような感じさえして、個人的にとても気に入った場所になった。帰省したらまたあの場所で煙草を吸おうと思っている。

 

 


体に悪いであろうことは承知しつつもやはり吸ってしまう。まあしかしいずれは死ぬのだし、たとえ健康であったとして私はろくな人生は歩まないのだから(今現在もそうであるし)どうだっていいだろう、という気持ちがあるのでなんだかんだで吸い続けている。ドイツ文学者の池田香代子先生が「煙草はわたしのタナトス願望を小出しにする手段です。なんであれ、日常的に小出しにしていなければ、たまってしまいます。したがって、煙草はわたしの延命に役立っています。」と書いていた(『ユリイカ 煙草異論』2003年10月号)。これを読んだ時、なるほど「タナトス願望を小出しにする手段」か、確かにそうかもしれないな、と思った。が、私は能天気なぼやっとした人間であるので、そんなに深くは考えずにただ自分の快楽を優先して吸っているだけかもしれない。自分でもよくわからない。

 

 

大学に入ったとき、映画論の講義を受けた。ゴダールの『女と男のいる舗道』を見たら出演者たちが常に煙草を吸っていた。煙草を吸っているアンナ・カリーナを見て、綺麗な人だな、と思った。それと関係があるかどうかはわからないけれど、大学に入ってから付き合った人はみんな喫煙者だった。

フランスにはじめて行ったとき、路上で吸っている人を多く見かけた。フランスでもジャック・シラク政権の時に施行された、公共の場での禁煙を定めるエヴァン法が存在するが皆普通に吸っていた。警官も路上で吸っていた。私も真似してみようと思った。歩き煙草は手にもって歩いている時に他の歩行者に当たってしまったら危ないと日ごろから思っているので、それはしなかったけれど、私もマレ地区の路上で立ち止まって石造りの建物を眺めながら、ああヨーロッパだな、などと考えながら吸っていた。そうしていると、ひとりの随分と顔の整った、俳優さんかと思うような男性が近づいてきて何かを喋っている。最初は聞き取れなかったが、どうやら「煙草の火を貸してくれ」と言っているようだったのでライターの火をつけて相手の煙草に近づけた。そのあとその男性と少しだけ会話をした。と、いってもフランス語も英語も不得手なのであまりコミュニケーションはとれなかったが、その男性がしきりに「Elle est si mignonne.(あなたはとても可愛いね)」と言っているのがわかった。なるほど、これはいまナンパをされているんだな、とわかった。他人から「可愛い」などと言われることは滅多にないのでうれしい。だけれど残念なことに自分はゲイではないので(たぶん)、そのことを下手くそなフランス語と英語で伝えてその場を離れた。その男性は少し悲しそうな顔をしていた、ように見えた。

 

 

  

上京してきたときに住んだ家の近くには、個人経営の小さな煙草屋さんがあった。そこでよく煙草を買っていた。が、ちょうど一年くらいたってその煙草屋さんは潰れてしまった。少し悲しかった。こういう小さな個人経営の煙草屋さんは街から消えていく運命にあるのかもしれないな、と思った。

しかし、その後繁華街でお酒を飲むことを覚えて、夜の繁華街の路地を徘徊するようになると、小さな個人経営の煙草屋さんが残っているな、ということに気づいた。繁華街だからこそなのだろう。ホスト風の男性、ホステス風の女性、着物を着た恐らく繁華街で長く商売をしているであろう女性、キャッチ風のスーツを着込んだ男性などが煙草を買っていく。私もそのお店で煙草を買うようになった。そのうちにお店のおじさんと顔見知りになり、会話をするようになった。この場所で四十年やっているが、煙草屋は最近どこも斜陽産業だよ、と言って笑っていた。自分も体力に限界がきたら店は閉めるだろう、とも言っていた。いつまで続くかわからないが、お店が開いている限りここで買い続けよう、と思った。おじさんはいつもおしゃれなハンチング帽をかぶっている。

 

 

 


本当に断片的なまとまりのないことを書きながら、明日はお気に入りの純喫茶で好きな本を読みながらピースライトを燻らそうかと考えていたら少し楽しい気分になってきた。